がんばらなくていい瞑想、「アルキメ」のすすめ

2026年8月28日

何となく落ち着かない日々に

理由がはっきりしないのになんとなく心がざわつく日があります。

仕事や家事に追われているわけでもないのに頭の中がずっと忙しい。SNSを開けば誰かの楽しそうな暮らしやうまくいっている様子が目に入ってきます。自分と比べるつもりはなくても気づけば比べてしまい、少し胸が重くなる。そんな経験は多くの人にあるのではないでしょうか。

私はヨガを続けていて占いや自分の内面と向き合う時間も好きです。それでも心が落ち着かない日はなくなりません。心を整える方法をいくつも知っていてもその日の気分や体調によってうまくいく日とそうでない日があります。

そんなときに私が頼っているのが「アルキメ」です。歩きながらする瞑想を私はそう呼んでいます。

もちろん歩行瞑想そのものは昔からある方法で、私が考え出したものではありません。ただ「歩行瞑想」という言葉は少し重たく感じるので、もっと気軽にふだんの暮らしの中でやればいいと思っています。

座って目を閉じると余計に忙しくなる

瞑想と聞くと静かな部屋で背筋を伸ばし目を閉じて座っている姿を思い浮かべる人が多いと思います。私もそういう瞑想をすることはあります。

けれどもじっと座っていると頭というのは実によく働きます。

さっきの誰かの言葉が気になる。明日の予定を思い出す。SNSで見た誰かの投稿が頭をよぎる。気づけば呼吸のことなどそっちのけで別のことを考えている。

そうして別のことを考えている自分に気づくのも瞑想のうちなのだとは思います。それでも「うまく瞑想できない自分」にがっかりしてしまうことはないでしょうか。私にはあります。

じっと座って何も考えないようにしようとがんばるほど、逆に心はざわつくものです。ならばじっとしていなくてもいいのではないか。そう思うようになりました。

特別な時間を作らなくていい

歩行瞑想について調べると、静かな場所を選び足を上げる動作や前へ運ぶ動作、地面に下ろす動作を一つひとつ丁寧に観察するというやり方が出てきます。

それも素敵な方法ですが私はそこまでがんばらなくていいと思っています。

私がいちばんよくやるアルキメは買い物です。家から店まで少し遠回りして歩く。それだけでちょっとした運動にも気分転換にもなります。

朝、海辺を裸足で歩くのも好きです。砂や波の感触が足の裏から伝わってきます。足の裏というのはふだんずいぶん粗末に扱われている感覚器官なのだなと気づきます。

つまり瞑想のためだけの時間を新しく作る必要はないのです。買い物に行く。駅まで歩く。近所を散歩する。その時間を少しだけ瞑想に変えてしまえばいいのです。

歩数と呼吸を数えるだけ

私の場合、歩数に合わせて呼吸を意識します。4歩で吸って4歩で吐く。あるいは4歩吸って少し止めて8歩かけて吐くというふうに。

人間の頭は放っておくとあれこれ考えてしまうものです。けれども数を数えているあいだは今していることに意識が戻ってきます。

姿勢に意識を向けるのもいいと思います。背筋を少し伸ばす。おなかの奥に軽く力を入れる。足の裏が地面に触れる感覚を味わう。風や気温、まわりの音に気づいてみる。

もちろん歩いていても別のことは浮かびます。仕事のことを思い出したり昔のことがよみがえったり、なぜか懐かしい歌が頭の中で流れ出したりします。

それを無理に止めようとはしません。「ああ、今この歌が流れているな」と気づいて少し楽しむ。そのうちまた歩数を数えたり呼吸に意識を戻したりすればいいのです。

何も考えない状態を目指さなくていいのだと思います。むしろ自分が今何を考えているかに気づく。その程度でじゅうぶんです。

首を振って視界を広げる

最近、歩きながら首を左右に振ることをしています。

サッカー選手がよく首を振っているのを見たことはないでしょうか。自分の周りに誰がいるかどこに空間があるかを確かめているのだそうです。それを真似してみました。

ただ左右を見るのではなく手足の振りや腰のひねりに合わせて右、左、右、左とリズミカルに首を動かします。やってみるとこれが意外と気持ちいいのです。

うつむいたまま歩いていると首をうまく振れません。首を振ろうとすると自然と顔が上がり姿勢も少しよくなります。そしてまわりの景色が視界に入ってきます。一つひとつをじっくり観察するわけではなく、首を振っているとまわりの様子が自然と目に入ってくるのです。

自分が少し美しく歩けているような気がして、それだけで気分が上向きます。実際に美しいかどうかはわかりませんが自分でそう感じられることは案外大切なことだと思います。健康のためだからと仕方なく歩くのと歩くこと自体が気持ちいいと感じるのとでは続きやすさがまるで違うからです。

スマホを置いて情報を止める

アルキメをするとき私は音楽もSNSも見ないようにしています。歩きながら好きな音楽を聴くこと自体は嫌いではありませんが、それはアルキメとは少し違うものだと思っています。

私たちの毎日は情報を受け取り続けることであふれています。メッセージが届く。SNSには誰かの近況や意見が流れてくる。動画もニュースも文字や音声でずっと満たされています。

そこで歩く時間くらいは何も入れないようにしています。スマホをバッグにしまう。すると風の音や車の音、鳥の声が聞こえてきます。自分の足音も聞こえます。

何かを取り入れるために歩くのではなく取り入れることを止めるために歩く。これが私にとってアルキメのいちばん大事なところです。

頭の中で好きな歌が流れるのはそれはそれで構いません。むしろ外から何も入れずにいると昔聴いた歌や誰かの言葉がふと浮かんでくることがあります。自分の中には思いのほかいろいろなものがしまわれているのだなと気づかされます。

心がざわついたときこそ外に出る

占いで気になる結果が出たとき。SNSで誰かと自分を比べて少し落ち込んだとき。理由もなくなんとなく不安になったとき。そんなときこそ私はアルキメの時間だと思うようにしています。

家の中でスマホを眺めていると不安はどんどん大きくなっていく気がします。そういうときほど外に出て体を動かすほうがいいのです。

心の状態はそう簡単には変わりません。世の中の情報がどれだけ速く流れても私たちの心や体はゆっくりとしか変われないのです。だからこそ意識して速度を落とす時間が必要なのだと思います。

正しいやり方なんてなくていい

健康法というものはともすると規則になりがちです。毎朝30分歩きましょう。毎日瞑想しましょう。この姿勢が正しい。この呼吸法を守りましょう。

そういうやり方が好きな人はそれでいいと思います。ただ私はもう少し雑でいいと思っています。

まずやってみる。自分に合っているか眺めてみる。合わなければ変えればいい。それだけのことです。

アルキメも毎日やる必要はありません。時間もばらばらでいいですし正しいフォームを決めなくてもいいのです。

買い物のついでに10分だけ歩いて少し呼吸を意識した。それでいい。気持ちが落ち込んだので家の周りを少し歩いた。それでもいい。朝早く目が覚めたので裸足で海辺を歩いた。それもいい。

今日は首を振りながら歩くと気持ちよかった。明日もやってみよう。そんな小さな実験を重ねながら自分なりの歩き方を見つけていけばいいのだと思います。

歩き、呼吸し、身体に少し意識を向ける。外から入ってくる情報を止めて自分の心や身体が今どうしているかを眺めてみる。がんばらなくていい方法を少しずつ試してみる。

アルキメとはだいたいそのようなものです。

今日も何かに追われているあなたへ。たまにはスマホを置いてアルキメてみませんか。